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東京地方裁判所 平成7年(ワ)20504号 判決 1997年6月20日

原告

川口浩二

右訴訟代理人弁護士

近藤俊昭

被告

株式会社ジャレコ

右代表者代表取締役

金沢義秋

右訴訟代理人弁護士

本田俊雄

隈元慶幸

右訴訟復代理人弁護士

杉浦正敏

主文

一  被告は、原告に対し、六六万九八五七円及びうち二四万三一九一円に対する平成七年一月二六日から、うち四二万六六六六円に対する平成七年二月一〇日から、いずれも支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告に対し、七六万九八五七円及びうち二四万三一九一円に対する平成七年一月二六日から、うち四二万六六六六円に対する平成七年二月一〇日から、うち一〇万円に対する平成七年一一月一八日からいずれも支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告の退職に伴う雇用保険の資格喪失手続を直ちに行え。

第二事案の概要

本件は、被告と雇用契約関係にあった原告が、被告に対し、雇用契約に基づく賃金(平成六年一二月一九日から平成七年一月一八日までの賃金である四四万六七〇〇円から、平成七年一月分雇用保険料一七八六円、同月分所得税一万七〇六〇円、平成六年一二月分健康保険料一万七八六〇円、同月分厚生年金支払額三万八七七五円、地方税一二万円、昼食代四〇〇〇円を控除した二四万七二一九円の内金である二四万三一九一円)、退職金(四二万六六六六円)及び被告が原告の雇用保険資格喪失手続を行わないことにより被った精神的苦痛に対する慰謝料(一〇万円)並びにこれらに対する遅延損害金の各支払いを求めると共に、雇用保険資格喪失手続の履行を求めた事案である。

一  争いのない事実等

以下の各事実は、括弧書きで証拠を掲げたものについてはその証拠により認定し、その余については当事者間に争いがない。

1  被告は、電子応用機器の開発・製造・販売及び輸出入等を目的とする会社である。

2  原告は、平成二年五月二〇日、被告と、期間を定めることなく、雇用契約を締結した。

3  被告における賃金は、当月一九日から翌月一八日までの分を同月二五日に支払うこととされていた。

4  原告の平成六年一二月一九日から平成七年一月一八日までの分の賃金(以下「本件一月分賃金」という。)は、以下のとおりであり、合計四四万六七〇〇円となる。

基本給 三二万円

役職手当 一〇万円

家族手当 五〇〇〇円

住宅手当 一万円

調整 一万一七〇〇円

合計 四四万六七〇〇円

5  被告の就業規則(以下「就業規則」という。)には、以下の定めがある(<証拠略>、関連条文のみ抜粋)。

第一三条

一項 社員が退職しようとするときは、原則として少なくとも一か月前までに事由を明記した退職願を提出しなければならない。

第三五条

次の各号のひとつに該当したときは懲戒解雇する。ただし、情状により他の懲戒処分とすることがある。

一号 著しく勤務状態が不良なとき、また正当な理由なく七日以上継続した無断欠勤をしたとき。

三号 会社に在籍のまま、会社の許可なく他人に雇われたとき。

六号 業務上の指示命令に不当に反抗し、または従わず職場秩序を乱し、または乱そうとしたとき。

七号 正当な理由なく著しく会社業務に支障を与え、または与えようとしたとき。

八号 故意または重大な過失により会社に莫大な損害を与え、若しくはその名誉・信用を傷つけたとき。

7(ママ) 被告には、就業規則に基づく、別紙<略>のとおりの退職金規程(以下「退職金規程」という。)が存在する(<証拠略>)。

二  争点

(賃金請求関係)

1 被告が原告に対し本件一月分賃金の支払いを提供したか否か。

(退職金請求関係)

2 原告の退職時期及び退職金請求権の有無。

(慰謝料請求関係)

3 原告の慰謝料請求権の有無。

三  当事者の主張

1  争点1(被告が原告に対し本件一月分賃金の支払いを提供したか否か)について

(被告)

被告は、平成七年八月一八日に原告に到達した同月一七日付け内容証明郵便において、原告に対し、雇用保険料等を控除した一九万〇五八四円を支払う用意があるので、具体的な支払手段を提示するよう求め、もって、本件一月分賃金の支払いを提供し、原告は受領遅滞となった。したがって、被告は右提供の時から履行遅滞の責任を負わない。

(原告)

原告が、被告主張にかかる内容証明郵便を受け取ったことは認めるが、被告の弁済提供は、債務の本旨に従っていないので、履行遅滞の責を免れるものではない。

2  争点2(原告の退職時期及び退職金請求権の有無)について

(原告)

(一) 原告は、平成六年一二月一九日、被告の専務取締役であり、かつ、原告の直属の上司である森好文(以下「森専務」という。)に対し、就業規則一三条一項に従い、一か月後の平成七年一月一八日付けをもって辞職する旨口頭で伝えることにより被告を退社する旨告知し、これにより、同日付けで被告を退職した。

なお、原告が辞職の意思表示を撤回した事実及び原・被告間において、退職時期を延期する合意をした事実はない。

(二) 原告は、平成二年五月二〇日に入社し、平成七年一月一八日に自己都合退職したものであり、原告の退職金額算定の基礎となる基準額は退職時の基本給である三二万円であるから、これらを前提に退職金規程に従い原告の退職金額を計算すると四二万六六六六円となる。原告は、被告に対し、同金額の退職金請求権がある。

(被告)

(一) 原告が、森専務に対し、退職の意思を表明したのは平成六年一二月二〇日のことであり、原告は森専務に慰留されてすぐに退職の意思表示を撤回した。したがって、全体的にみれば、原告が被告に対し、適法な辞職の意思表示を行ったとはいえない。

(二) 仮に右(一)記載の原告による意思表示が辞職の意思表示であったとしても、被告代表取締役金沢義秋(以下「金沢社長」という。)が、平成七年一月一八日、原告に同年三月末日まで退職時期を延期することを求めたのに対し、原告はこれを承諾し、これにより、原・被告間において、原告の退職時期を同日まで延期する旨の合意が成立した。

(三) 被告は、平成七年二月三日、以下の理由により、原告を懲戒解雇したものであり、原告にはこのように退職金規程第一条二項イに定める退職金不支給事由が存在するので、退職金の支給を受ける権利がない。

(1) 原告は、平成七年一月一九日、森専務に対し、電話で「やはり、今日から会社には行きません。」と連絡し、その後、被告を無断で休み、他社へ出社した。これは就業規則三五条一号及び三号に該当する。

(2) 原告は、その後、被告から再三就業を促されたにもかかわらず出社せず、自らの業務を遂行しなかった。これは就業規則三五条六号に該当する。

(3) 原告は、平成六年一二月一八日に被告を退職した経理部長の今井紀一(以下「今井部長」という。)と示し合わせ、被告を相次いで退職したものであり、このような行為は、被告の金融機関に対する信用を著しく減退させるものであるところ、原告はそれを知りつつ実行した。これは就業規則三五条八号に該当する。

(4) 仮に原告の行為が辞表の撤回に当たらないとしても、原告は退職時まで曖昧な態度に終始し、経理関係の引継業務を殆ど行わず、原告が出社しなくなってから、森専務を始め経理業務に携わる者が非常な困難苦難を経験した。これは就業規則三五条七号に該当する。

3  争点3(原告の慰謝料請求権の有無)について

(原告)

被告が、原告の退職に伴う雇用保険の資格喪失手続を行わないため、原告は、平成七年二月一日付けで就職した現在の勤務先において資格喪失手続未完了者として変則的な手続を行わざるを得ず、雇用保険の資格取得手続は行われないままである。この結果、原告は現在の勤務先において、被告が資格喪失届手続を終了した後、雇用保険に関する資格取得手続を資格取得の時期に遡及してせざるを得ず、事務手続を複雑にするという不利益を被っている。このような被告の手続未了は、事業主としての義務を規定した雇用保険法七条及び罰則八三条に違反するものであって、原告の労働者としての権利を侵害し、雇用保険法の精神にも違反するものである。被告の右不作為は、原告に対する嫌がらせというべき行為であり、原告の現在の勤務先における立場を困難にさせ、精神的苦痛を与えるものである。右精神的苦痛に対する慰謝料は一〇万円が相当であり、原告は、被告に対し、同額の慰謝料請求権がある。

(被告)

原告の慰謝料請求権の存在を争う。

第三当裁判所の判断

一  賃金請求関係について

1  本件一月分賃金が、基本給三二万円、役職手当一〇万円、家族手当五〇〇〇円、住宅手当一万円、調整一万一七〇〇円の合計四四万六七〇〇円であること及びその支払日が平成七年一月二五日であることは、いずれも当事者間に争いがない。

2  争点1(被告が原告に対し本件一月分賃金の支払いを提供したか否か)について

(一) (証拠略)、当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告は、平成七年八月一八日に原告に到達した同月一七日付け内容証明郵便において、原告に対し、本件一月分賃金から、同月分賃金から控除すべき金額である平成七年一月分雇用保険料一七八六円、同月分所得税一万七〇六〇円、平成六年一二月分健康保険料一万七八六〇円、同月分厚生年金支払額三万八七七五円、地方税一二万円、昼食代四〇〇〇円を控除した他、原告の退職日が平成七年二月三日であるとの前提で、原告の同年二月分賃金から控除すべき平成七年一月分健康保険料一万七八六〇円及び同月分厚生年金支払額三万八七七五円を控除した一九万〇五八四円を支払う意思があるとし、具体的な支払方法を連絡するよう求めたことが認められる。

(二) 右内容証明郵便による通知が、被告の履行遅滞の責任を免れさせる有効な弁済提供といえるか否かにつき検討するに、前記認定のとおり、本件一月分賃金は総額四四万六七〇〇円であるところ、被告が原告に対し、支払意思があるとしたのは、同金額から二五万六一一六円を控除した一九万〇五八四円であり、右控除額のうち、本件一月分賃金から控除すべき一九万九四八一円の控除については、原告も認める金額で理由があるが、原告の退職時期は、第三、二1(三)に認定するとおり、平成七年一月一八日であるから、本件一月分賃金から、さらに、平成七年一月分健康保険料一万七八六〇円及び同月分厚生年金支払額三万八七七五円を控除すべき理由は認められない。そうすると、被告が提供した金額は、被告が支払うべき金額より五万六六三五円も不足しているものであるから、右提供は債務の本旨に従っておらず、有効な弁済提供がなされたとは認められない。

3  以上からすれば、本件一月分賃金のうち、二四万三一九一円(但し、本件一月分賃金四四万六七〇〇円から、平成七年一月分雇用保険料一七八六円、同月分所得税一万七〇六〇円、平成六年一二月分健康保険料一万七八六〇円、同月分厚生年金支払額三万八七七五円、地方税一二万円、昼食代四〇〇〇円及び四〇二八円を控除したもの)及びこれに対する支払日の翌日である平成七年一月二六日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めた原告の請求は理由がある。

二  退職金請求関係について

1  争点2(原告の退職時期及び退職金請求権の有無)について

(一) (証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、平成六年一二月一九日、森専務に対し、「平成七年一月一八日をもって退職したい。」と口頭で述べた(以下「本件意思表示」という。)ことが認められる。

(二) 被告は、本件意思表示は森専務から慰留を受けた後すぐに撤回されたので適法な意思表示とはいえないと主張するので、この点について判断する。

(証拠・人証略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件意思表示を行った際、用意してきた退職届を森専務に渡さず、その後退職届を自分の机の中にしまっておいたことが認められるが、(証拠略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告がそのような行為を行ったのは、本件意思表示当日及びそれ以降における森専務及び金沢社長から強い遺(ママ)留を受けた原告が、退職届を被告に提出することは事実上不可能であると考え、それ以上無理に被告にその受領を強いる行為に出なかったに過ぎないことが認められるのであり、これをもって、原告の本件意思表示を撤回する意思の表われであるとは解されず、他に本件意思表示の成立を妨げる事実も認められない。

(三) 本件意思表示の法的性質につき検討する。

(証拠・人証略)、原告本人尋問の結果、前掲「争いのない事実等」及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告が本件意思表示を行うに至った理由及び右意思表示を行ったときの状況は、以下のとおりであったことが認められる。すなわち、<1>原告は、平成二年五月二〇日、被告と雇用契約を締結した際、今後、原告の娘の進学に伴う経済的負担増が予想されたことから、被告に対し、年間収入七〇〇万円の保証を強く要望し、森専務はこれを承諾したものの、合意された年収は支払われず、平成六年度の年収も、六四五万円程度の見込みであったこと、<2>原告は、娘が予定どおり音楽大学に入学して学費がかかるようになり、被告からの収入ではその授業料を支払うことができないため経済的に行き詰まっていたが、被告の業績は悪く、従業員がいわゆるリストラにより退職していく状況であったため、被告に賃金増額を要求しても実現されることはないものと考え、問題を解決するためには、被告を退職して転職する以外方法はないと考えていたこと、<3>そして、原告は、平成六年初めころから、年間八〇〇万円から九〇〇万円程度の賃金が得られる会社への転職を考えるようになり、同年一〇月ころから就職活動を開始し、同年一一月ころ転職先を見つけ、同社との間で、平成七年二月一日付けで入社する旨の合意をしたこと、<4>原告は、平成六年一二月一九日、直属の上司である森専務に対し、年収が不足していて、娘の大学の授業料を出すことができないとの退職理由を説明し、就業規則一三条一項に従い、退職事由を明記した退職届を用意した上、本件意思表示を行ったこと、<5>原告は、退職時期については、転職先における就労開始前であり、かつ、退職月における賃金計算を容易にするために、被告の賃金締日に合わせようとの配慮から平成七年一月一八日付けとすることに決め、また退職の意思表示を行う時期については、就業規則一三条一項の規定に従い、少なくとも退職の一か月前になるようにとの配慮から、平成六年一二月一九日とすることを決めたこと、以上の事実がそれぞれ認められる。

以上のとおり、原告が被告の退職を希望した理由が、専ら経済的困窮によるもので、転職する以外には方法がなかったこと、原告が退職を考えるようになってから本件意思表示を行うまでに約一年間あることからして、原告は十分考え尽くした上で、本件意思表示を行ったと認められる他、原告は、退職時期及び退職の意思表示を行う時期を、就業規則の規定、賃金計算上の便宜及び転職先会社における就労の開始時期等の諸事情を踏まえ、念入りに考慮して決定しており、また、本件意思表示を行った時点においては、既に転職先会社との間において就労開始の日程を取り決めていたため、原告にとって退職時期やその意思表示を行う時期を延期することは容易なことではなく、原告は、意図した退職日に確実に退職しようとの確固たる意思をもって本件意思表示を行ったと考えられることからすれば、本件意思表示は、単に、原告が、被告に対し、合意による雇用契約解約の申込みを行ったものではなく、原告の被告に対する平成七年一月一八日付け辞職を内容とした雇用契約の解約告知であったと認めるのが相当である。

そうすると、原・被告間の雇用契約は、本件意思表示により、平成七年一月一八日付けをもって終了したことが認められる。

(四) 原・被告間において、平成七年一月一八日、原告の退職時期を同年三月末日まで延期する旨の合意が成立したか否かにつき検討する。

(証拠・人証略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件意思表示の後、度々金沢社長や森専務から遺(ママ)留されていたが、平成七年一月一八日、金沢社長から強い遺(ママ)留を受け、高圧的な口調で、「平成七年四月中ころまでどうしても居て欲しい。新しく就職が決まった会社にその旨を話して来い。」などと言われた際、断りきれなくなり、転職先会社における就職時期を四月ころにすることについて、転職先の会社の了解を得られるかどうかを同社と折衝することを金沢社長と合意したことが認められる。しかしながら、右の認定を超え、原・被告間における退職時期延期合意の成立の事実までをも認めるに足りる証拠はない。

(五) 原告に退職金不支給事由が存するか否かにつき検討する。

(1) 退職金規程第一条二項イは、就業規則第三五条(懲戒解雇)に該当した場合は退職金を支給しないことを定めているところ、右規定の文言及び弁論の全趣旨によれば、右の規定は、有効に懲戒解雇された従業員にとどまらず、懲戒解雇事由の存する従業員について退職金を支払わない趣旨であると解するのが相当である。

(2) そこで、原告につき、被告主張にかかる懲戒解雇事由が存したか否かを検討する。

<1> 被告主張にかかる第一の点(原告が、平成七年一月一九日、森専務に対し、電話で「やはり、今日から会社には行きません。」と連絡し、その後、被告を無断で休み、他社へ出社したことが、就業規則三五条一号及び三号に該当するというもの。)及び第二の点(原告が、平成七年一月一九日以降被告から再三就業を促されたにもかかわらず出社せず、自らの業務を遂行しなかったことが就業規則三五条六号に該当するというもの。)は、いずれも原告が退職した後の行為を問題にするものであり、理由がない。

<2> 第三の点(原告が、被告の金融機関に対する信用を著しく減退させることを知りつつ、平成六年一二月一八日に被告を退職した今井部長と示し合わせて、被告を相次いで退職したことが、就業規則三五条八号に該当するというもの。)につき検討する。

今井部長の退職日が平成六年一二月一八日であることは当事者間に争いがなく、原告の退職は、その一か月後に当たる。そして、(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば、被告の平成六年当時告(ママ)の業績が悪かったこと及び森専務等被告役員らは、業績が悪い上に経理部長である今井部長及び経理課長である原告の両経理担当責任者が相次いで退職したことにより、取引先の銀行から、被告の経済的信用性を疑われるのではないかとの大きな懸念を抱いたことが認められる。しかしながら、原告の退職によって、現に被告の信用が傷つけられたことを認めるに足りる証拠はなく、就業規則三五条八号に定めるその他の事由に該当する事実も本件証拠上認められない。

<3> 第四の点(原告は退職時まで曖昧な態度に終始し、経理関係の引継業務を殆ど行わず、原告が出社しなくなってから、森専務を始め経理業務に携わる者が非常な困難苦難を経験したことが、就業規則三五条七号に該当するというもの。)につき検討する。

本件意思表示が、辞職の意思表示であったと認められることは、前記認定のとおりであり、(証拠・人証略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、平成六年一二月二〇日、平成七年一月五日、同月一〇日にも、金沢社長や森専務に対し、同月一八日付けで退職するとの意思を表明していることが認められる。もっとも、右の各証拠によれば、原告が森専務及び金沢社長から強く遺(ママ)留された際、反論する態度を示さなかったことがあったことが認められるが、原告は右のとおり、しばしば平成七年一月一八日付けで退職するとの一貫した意思表明を行っており、その意思を覆すような言動をしたことを窺わせるような証拠もないのであるから、社長や上司からの強い説得に反論する態度を示さなかったことがあっても、このことにより、原告の態度が曖昧であったとは評価できない。また、原告が経理関係の引継業務を殆ど行わなかったことを認めるに足りる証拠もなく、就業規則三五条七号該当性は認められない。

2  原告の退職金額について

退職金規程二条、三条本文及び五条によれば、自己都合退職の場合における被告従業員の退職金額は、基準額(退職時の基本給月額で、給与規程に定めるもの)に別表(2)の「勤続年数」欄記載の勤続年数に応ずる支給率を乗じて算出されるところ、原告の場合、右基準額が三二万円であることは当事者間に争いがなく、勤続年数は平成二年五月二〇日から平成七年一月一八日までであり、退職金規程七条一項による端数処理を施すと五年八か月となる。また、勤続年数に月単位の端数を生じた場合における支給率の適用については、被告は端数部分を月割計算で算出する扱いであったことが弁論の全趣旨により認められ、退職金規程三条但書により、一〇〇円未満の金額を一〇〇円に切り上げて原告の退職金を計算すると、四二万六七〇〇円となる。

(計算式)

三二万円×一・〇+三二万円×(一・五-一・〇)×八/一二=四二万六七〇〇円(一〇〇円未満切り上げ)

3  退職金の支払時期について

退職金規程九条は、退職金の支払時期につき、原則として退職の事務手続を完了した日から三週間以内に支給すると定めており、これを文字どおりに解釈すると、被告が退職の事務手続を行わなければ、いつまでも退職金支払義務は遅滞とならないこととなり、相当ではない。思うに、右規定が設けられた主な趣旨は、被告において、退職する従業員の退職金不支給事由の有無を検討し、不支給事由が存しない場合には、その退職金額を算定すると共にその退職金を用意するのに必要な期間を設けることにあると理解されるので、このような制度趣旨からすれば、被告が、かような退職の事務手続を完了するために通常必要と認められる期間を経過した場合も、同条に準じて考えるのが相当であり、右事務手続完了に通常必要と認められる期間の末日から三週間を経過すれば、被告の退職金支払義務は遅滞となると解するのが相当である。

そこで本件を検討するに、就業規則一三条は、社員が退職しようとするときは、原則として少なくとも一か月前までに被告に届け出るべきことを定めており、右の「一か月」という期間は、単に、後任者の用意のためだけの期間として設けられたものではなく、退職しようとする従業員についての退職の事務手続遂行のための期間としての趣旨をも含んでいると理解できること、被告は、本件意思表示を受けた後、原告の退職の事務手続を行うことが可能であり、右事務手続を妨げるような客観的事情は証拠上窺えないこと(もっとも本件においては、金沢社長及び森専務が、原告退職に至るまで、原告に対し、退職の意思を撤回し、あるいは退職日を延期することを望み、遺(ママ)留に努めていたことが認められるが、これは原告の退職の事務手続を妨げる客観的事情とは認められない。)並びに、原告の本件意思表示の時期及び退職日を考慮すれば、雇用契約が終了した翌日である平成七年一月一九日には、退職のための事務手続を完了するために通常必要と認められる期間の末日が到来したと解するのが相当である。そうすると、それから三週間後の同年二月九日が退職金支払期限末日となり、被告の退職金支払義務は、その翌日の同月一〇日から遅滞を生ずることとなる。

4  以上からすれば、被告に対し、右のとおり認定した退職金のうち四二万六六六六円及びこれに対する平成七年二月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めた原告の請求は理由がある。

三  慰謝料請求関係(争点3)について

(証拠略)及び原告本人尋問によれば、原告は、被告が原告の雇用保険資格喪失手続を行わないことにより、転職先を退職した場合における失業保険の受給につき、無資格状態が続くのではないか、また、転職先会社の従業員から、雇用保険資格喪失手続を受けられないような退職の仕方をした人間と思われるのではないか等と考え、心理的負担を感じたことが認められる。しかしながら、右の心理的負担の内容を考慮し、また雇用保険法八条及び九条に事業主が被保険者資格の喪失の届出を行っている場合における手続規定が存することに照らして考えるならば、原告の右の心理的負担が、被告に対し慰謝料の支払いを肯定しなければならないほどの精神的苦痛であったと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、この点についての原告の請求は、理由がない。

四  雇用保険資格喪失手続請求について

原告は、雇用保険法七条及び八三条に基づき、被告に対し、雇用保険資格喪失手続の履行を求めているが、同条は、事業主に対し、一定の事項を労働大臣に届けなければならないとの義務を定めた規定及びその違反に対する罰則規定に過ぎず、いずれも従業員が事業主に対し雇用保険資格喪失手続を履行すべきことを請求しうる権利を認めた規定とは解しがたい。

そうすると、この点についての原告の請求は理由がない。

五  総括

以上のとおりであるから、原告が、被告に対し、賃金二四万三一九一円及びこれに対する平成七年一月二六日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金並びに退職金四二万六六六六円及びこれに対する平成七年二月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求めた点はいずれも理由があるのでこれらを認容し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用については被告に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 合田智子)

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